暁伸...死亡ニュースでブログアクセス急上昇 !!! ...分過去記事校正再掲載 orz
2006-03-17
[暁伸・ミスハワイ/宮川左近ショー]
http://bit.ly/xtkkWb
ここのブログの芸能関係コメントでも御馴染みの、
畏友の某悪徳芸能マネージャー (HN/T瓶の元マネ) で、
ラジオ大阪の 『ぬかるみの世界』 の仕掛け人でもある、
あの “アカバネ” から預かっている、
膨大な関西芸能列伝の原稿の一部を紹介しよう!
この原稿は大阪ではバラエティ番組なんかで有名人だった、
放送作家の加納健男(くらがりさん)が死んだ翌日に、
eメールで受取った原稿である。
----------------------------------------------------------------
「社員の替わりはナンボでもいてんねん!
しゃあけど芸人の替わりはいてへんのじゃ!
ボケッ !!!」 と経営陣は広言した。
「オマエラは芸人の霞で食っとるんじゃ!」
と売れてもいない芸人までもが言い切っていた。
「かしまし娘とミヤコ蝶々は先生と呼びなさい!」
「あとの芸人は師匠と呼びなさい!」
と管理職が指示していた。
マネージャーとは名ばかりで実態は芸人の荷物持ちだった。
芸人たちもそれを当然と考えていた。
そしてこんな姿だけは恋人に見せたくないと僕は考えていた。
そんな昭和五十年前後の出来事。
「ハワイ師匠(暁伸・ミスハワイ)から何回も電話がありましたよ」
と事務所で伝言を聞いて、
「えぇっっ…!僕に…?」
と怪訝に思いながらもハワイ師匠の出番の道頓堀の角座に行った。
楽屋口で会ったハワイさんが、
「お父さん(暁伸)に怒られたんやろ?
ゴメンナ、だけど辞めたらアカンでぇ!
頑張らなあかんよぉ、これでお茶でも飲みぃ!」
と言って僕の手にクシャクシャな千円札を二枚握らせたハワイさんは、
「辞めたらあかんよ!」 …と何度も何度も念を押した。
伸さんが怒った訳は失念してしまった。
どうせつまらない事だったに違いない。
しかしハワイさんの言葉と千円札二枚の感触は鮮烈に覚えている。
宮川左近ショーが好きだった。
左近さんの偉ぶらない人間性も好きだったが暁照夫の三味線が特に好きだった。
その音色に現代性を感じた。
僕にはブルースでありジャズでありロックでもあった。
青空千夜一夜さんがゲストに来た時に、
「あの人(暁照夫)の三味線は凄いね!」
と一夜さんが言われた時には僕は自分が誉められたように嬉しかった。
そして何故か三人に僕は可愛がられた。
キャバレー巡業も終盤にかかった広島のホテルでのこと。
夜半を過ぎていた。
お歳の左近さんは先にやすんでいた。
照夫さんと一夫(松島一夫)さんと三人で飲んでいた部屋に、
突然、左近さんが殴りこんで来た。
「オマエハ、イツモ、ワシニ、タテ、ツイテ!」
照夫さんに対して溜まりたまった鬱憤が爆発したようだった。
照夫さんも負けてはいない。
取っ組み合いの喧嘩になりそうだったが一夫さんは知らぬ振りをして、
仲裁に入ろうともしない。
「止めて下さい!師匠たちが大好きだったのに!尊敬していたのに!」
その後何を言ったのか覚えていない。
僕は悲しくてただ涙を流していた。
この一件があったからではないだろうが左近ショーは、
僕の仕事は文句一つ言わず憂歌団とのジョイントコンサート(S56年角座)も、
当時未だ平社員で実力も伴っていなかった僕の思うままに制作させてくれた。
「歌江(かしまし娘の長女)さんの三味線は上手いんですか?」
と僕の質問に、
「上手いんやで、ただ三味線は怖いもんでな、歌江ちゃんのは音が濁るんやな、
花江ちゃん(三女)も三味線弾くやろ?
舞台ではせぇへんけどな、歌江ちゃんより下手やねんな、
けど音は澄んでるんやな、綺麗な音やねん!」
と照夫さんは言った。
同じ芸能事務所の先輩でもある漫才作家の加納健男が亡くなった。
享年五十五。
「君の話しはいいなぁ、インサイダーの話やもんなぁ、貴重やで!」
と生前の加納健男が言った。


最近のコメント